2012年から始まった50歳台後半のおっさんとその妻によるママチャリサイクリングの記録 → 2015年3月にお揃いのクロスバイク(レイル 700)購入。ママチャリは通勤メインに。 → 2019年10月にお揃いの折りたたみ小径車(プラチナ マッハ8)購入。でもメインはレイル700。 → 二人とも還暦を過ぎたが、もう少し頑張る。
クロスバイク。武庫川渓谷サイクリング。
西宮山口に車をデポ。176号線を西へ→有馬川沿いに北上→道場東交差点→有馬川水辺の小道→327号切畑道場線→少しだけ長尾川経由→武庫川沿いに東へ下る→JR道場駅→川下川ダム→33号塩瀬宝塚線→切畑→十万道路(十万辻を通って惣川沿いに下る)→JR生瀬駅→176号線を西へ→名塩→赤坂峠→西宮山口。
(以前歩いたところ:生瀬 武田尾 廃線跡ハイキング 2018.02.19)
前半最初の 15km くらいは川下川ダムまでの武庫川沿いのルート。車も少なく、アップダウンもほとんどなくて、日陰も多くすこぶる快適だった。のだが、ルートデータを取りそこねてしまった。この部分を加えると、今回のサイクリングの実際の全行程は 40〜45km くらいだろう。後半(川下川ダム以降) 28km のルートデータを示す。帰りの生瀬〜西宮山口間の176号線は交通量が多い上、路肩が狭く、ほとんど路肩が無い所や、歩道は片側だけの所もあり、自転車ではちょっと怖い感じだった。
武庫川渓谷の岩肌。 この黒い水鳥はカワウらしい。
新名神武庫川橋。あんな細長い柱1本で大丈夫なんだろか? もしかしたら橋がカーブしているのがポイントかも。直線状の橋(一本柱が一直線上に並ぶ)に比べたら倒れにくいとは思う。
福知山線 川下川橋梁
川下川の川床は岩が多いためか、小規模な滝(段差?)がいくつもあって、涼やかな水音を立てていた。
十万辻トンネル(北側)。十万辻峠は、このトンネルの上にあるようだ。十字路だったみたい。
引用:「十万辻」の由来は、源平の時代、源義経が一の谷の戦いで平家軍を攻撃する際にこの峠を越えたが、 それほど多くの人を見たことのない里の人たちにとって、その軍勢が十万人にも見えたのでこの名前がついているんだとか。http://michi.road.jp/Road/JumntjTN.html
ところが、こちらの資料によると、どうも義経はここは通ってないようなんだけど、どういうことなんでしょうか?
義経の進軍路
http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/yoshitsu.htm
そこでその他の資料も参照すると、
一の谷の戦いにおける多田行綱の活躍
https://www.rekishijin.com/18846
平家物語・義経伝説の史跡を巡る
https://blog.goo.ne.jp/mitsue172/e/420caa21edd4cd2cf79358e93d84275a
素人ながら、ネット情報をかき集めて Google map を眺めながら私なりに整理すると、
いわゆる「一の谷の戦い」では戦場は大きくわけて3箇所。東の生田口と西の一ノ谷口は 10km 以上離れている。福原はその中央あたり。源範頼が京都から西国街道を西へ進み、福原京の東側、生田口から戦いを仕掛け、義経が京都から丹波街道を西進、亀岡・園部・篠山方面から播磨方面へ南下して、三草山で勝利した後、福原京西側の一の谷口を攻めた。また多田源氏の多田行綱が中央・山の手の鵯越口(ひよどりごえ)・夢野口から核心部を攻撃。多田源氏の本拠地は多田神社のある川西市なので、行綱が川西→宝塚→有馬・三田方面から(六甲の裏手を回って?)鵯越口へ向かい、その途中で十万辻を通ったのではなかろうか?これは地理的にありそうだね。 つまり十万辻を通ったのは義経じゃなくて行綱なのでは? ちなみに鵯越は逆落としするほどそんなに傾斜が急なところではないらしい。一方、一の谷は大変な崖っぷち。物語などでは、話をわかりやすく盛り上げるために、西(義経)と山の手(行綱)の2つの戦場の史実が混ぜ合わされて(いいとこ取りされて)、まとめて義経のお話になっているのかな? 知らんけど。(^_^;)