2012年から始まった50歳台後半のおっさんとその妻によるママチャリサイクリングの記録 → 2015年3月にお揃いのクロスバイク(レイル 700)購入。ママチャリは通勤メインに。 → 2019年10月にお揃いの折りたたみ小径車(プラチナ マッハ8)購入。でもメインはレイル700。 → 二人とも還暦を過ぎたが、もう少し頑張る。
先月9月中頃の土曜日、なんとなく腰が重かった。翌日曜日、腰が痛くて起きられない。トイレに行くのも死に物狂いだった。通常の腰痛なら一晩くらいで治るのだが、月曜日の朝になっても同じような症状。病院でレントゲンを撮ってもらったところ、幸い骨折とかはなくて、腰骨の一番下の骨と次の骨の間が狭くなっていて、椎間板がはみ出して神経を圧迫しているとのこと。安静にしていると1週間くらいで治るとのこと。しかも劇的に治るとのこと。いわゆるぎっくり腰だ。1週間ほど通勤は妻に車で送り迎えしてもらったが、確かに1週間ほどでお医者の予言通り元に戻った。原因は通勤自転車くらいしか思いつかず、腰の負担が少ないと思われる、おじぎ乗り(やまめ乗り)をやってみることにした。
まず、堂城さんの「自転車の教科書」「自転車の教科書ー身体の使い方編ー(やまめの学校)」2冊を取り寄せ、読んだ。なるほど理屈が通っているように感じる。MTBの乗り方(荷重バランスが取れていて安全で体の使い方の効率が良い)をロードバイクの乗り方にうまく取り入れているように思われた。意味はもっと深いのだろうけど。TTバイクの乗り方にも通じているような気がする(知らんけど)。ポルタートで試してみると、確かに背中を丸めていないので前方が見やすく下ハンも持ちやすいが、脇・肘が窮屈に感じたので、ステムを100mmから120mmに長くした。次にギア比は同じなら、ギア径は大きな方がよく、クランクは長い方が良いとのことだったので、これまで愛用してきたアルミ合金のママチャリクランク 165mm 31T とスプロケット 16T 3mm 厚刃の代わりにMTB用の2ピースクランク 170mm 36T ナロー/ワイド とスプロケット 18T 2.3mm 薄刃に交換した。チェーンも多段用に変更する。BB自体はすごく軽くなったが、クランク+BBの重量は20gほど重くなった。ギヤ比が 1.94 → 2.0 とほんのわずか大きくなるが、ギヤ径が大きくなること及びクランクが長くなることで相殺できるのではないかと考えた。ちょうどTOKENのスクェアテーパー中空シャフトのカートリッジBBが寿命でガタガタしていたので躊躇なく交換できた(こいつは約2年間、少なくとも1万5千km くらい走った。前回は 3年間 2万7千 km 走れたのでそれに比べると少し劣化が早い。水を被ったかもしれない。)。今回はホローテック型のBBでシールドベアリング。中華製だがよく回るし剛性も高い。チェーンも多段用のものとした。Q-ファクターは少し大きくなるが、おじぎ乗りには都合が良いはず。MTBクランクはチェーンラインも50mmくらいと大きい。Inter-3 内装3段変速ハブのチェーンラインは 実測で〜45mm くらいだったので、チェーンリングはクランクアームの内側(フレーム側)に5mmのスペーサを介して取り付けた。多分45mmくらいになったと思う。また、クランクが5mm長くなったので、サドルを3〜4mm下げる。ちなみにママチャリフレームはシートチューブが寝ているので、シート高を低めにできる。これもおじぎ乗りには都合が良い。これでしばらく様子を見る。
ちゃんと「おじぎ乗り」ができているかどうか定かではないが今のところ腰痛が出ていないのでOKとしよう。おじぎのりはダンシング時の荷重バランスの取り方にも通じているような気がする。ダンシングをなるべく多用して練習することにした。下ハン ダンシングの状態から体を低くしたらおじぎのりになっているのかな?この解釈でどうでしょうか?
18T 2.3mm 薄刃スプロケット MTB用2ピースクランク170mm と 36T NW チェーンリング
チェーンリングは 5mm のスペーサーを介してアームの内側に取り付け。
多分、チェーンラインは 45mm くらいになったはず。ちなみにポルタートのBBシェル幅は70mmだ。実は、シェル右側(ギア側)のBBネジ切りの長さが足らず、BBを最後までねじ込めないので右側にスペーサを2枚(1mm x 2)を入れている。これがなければチェーンリングのスペーサは無くても良かったのかもしれない。このため Q-factor も右へ2mm ほど広がっているはず。
クロスバイク。武庫川渓谷サイクリング。
西宮山口に車をデポ。176号線を西へ→有馬川沿いに北上→道場東交差点→有馬川水辺の小道→327号切畑道場線→少しだけ長尾川経由→武庫川沿いに東へ下る→JR道場駅→川下川ダム→33号塩瀬宝塚線→切畑→十万道路(十万辻を通って惣川沿いに下る)→JR生瀬駅→176号線を西へ→名塩→赤坂峠→西宮山口。
(以前歩いたところ:生瀬 武田尾 廃線跡ハイキング 2018.02.19)
前半最初の 15km くらいは川下川ダムまでの武庫川沿いのルート。車も少なく、アップダウンもほとんどなくて、日陰も多くすこぶる快適だった。のだが、ルートデータを取りそこねてしまった。この部分を加えると、今回のサイクリングの実際の全行程は 40〜45km くらいだろう。後半(川下川ダム以降) 28km のルートデータを示す。帰りの生瀬〜西宮山口間の176号線は交通量が多い上、路肩が狭く、ほとんど路肩が無い所や、歩道は片側だけの所もあり、自転車ではちょっと怖い感じだった。
武庫川渓谷の岩肌。 この黒い水鳥はカワウらしい。
新名神武庫川橋。あんな細長い柱1本で大丈夫なんだろか? もしかしたら橋がカーブしているのがポイントかも。直線状の橋(一本柱が一直線上に並ぶ)に比べたら倒れにくいとは思う。
福知山線 川下川橋梁
川下川の川床は岩が多いためか、小規模な滝(段差?)がいくつもあって、涼やかな水音を立てていた。
十万辻トンネル(北側)。十万辻峠は、このトンネルの上にあるようだ。十字路だったみたい。
引用:「十万辻」の由来は、源平の時代、源義経が一の谷の戦いで平家軍を攻撃する際にこの峠を越えたが、 それほど多くの人を見たことのない里の人たちにとって、その軍勢が十万人にも見えたのでこの名前がついているんだとか。http://michi.road.jp/Road/JumntjTN.html
ところが、こちらの資料によると、どうも義経はここは通ってないようなんだけど、どういうことなんでしょうか?
義経の進軍路
http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/yoshitsu.htm
そこでその他の資料も参照すると、
一の谷の戦いにおける多田行綱の活躍
https://www.rekishijin.com/18846
平家物語・義経伝説の史跡を巡る
https://blog.goo.ne.jp/mitsue172/e/420caa21edd4cd2cf79358e93d84275a
素人ながら、ネット情報をかき集めて Google map を眺めながら私なりに整理すると、
いわゆる「一の谷の戦い」では戦場は大きくわけて3箇所。東の生田口と西の一ノ谷口は 10km 以上離れている。福原はその中央あたり。源範頼が京都から西国街道を西へ進み、福原京の東側、生田口から戦いを仕掛け、義経が京都から丹波街道を西進、亀岡・園部・篠山方面から播磨方面へ南下して、三草山で勝利した後、福原京西側の一の谷口を攻めた。また多田源氏の多田行綱が中央・山の手の鵯越口(ひよどりごえ)・夢野口から核心部を攻撃。多田源氏の本拠地は多田神社のある川西市なので、行綱が川西→宝塚→有馬・三田方面から(六甲の裏手を回って?)鵯越口へ向かい、その途中で十万辻を通ったのではなかろうか?これは地理的にありそうだね。 つまり十万辻を通ったのは義経じゃなくて行綱なのでは? ちなみに鵯越は逆落としするほどそんなに傾斜が急なところではないらしい。一方、一の谷は大変な崖っぷち。物語などでは、話をわかりやすく盛り上げるために、西(義経)と山の手(行綱)の2つの戦場の史実が混ぜ合わされて(いいとこ取りされて)、まとめて義経のお話になっているのかな? 知らんけど。(^_^;)